はい、こんにちは。
Dです。
色々とバタバタしていて、かなりご無沙汰しておりました。一応生きてはいるんですが、ここ最近の気温の変動で体調崩し気味です。。。
皆さんは、この気温差なんともないんでしょうか?もしなんともないのであれば、その丈夫な体がうらやましいです。
さてさて、今回は最近マスコミでも取り上げられている「いじめ」についてお話ししていこうかなぁと思っております。
いじめがなぜ起こるのか?いじめはいじめる側が絶対的な悪であり、いじめられる側には一切気がないのかどうか。一般的には、被害者としていじめられる側が責められる事はありませんよね。
Dはいじめられる側やいじめる側の、どちらかが絶対的な悪や被害者ではないと考えています。
いじめは、個人の性格のみで発生するものではなく、集団の中で起こる自然現象のようなものだからです。
今回は、この「いじめ」について、色々と自分の持論を述べてみようかと思います。
自分の考えが絶対的な正義であるとは思っていませんが、いじめ=いじめる側の性格に問題があるからだ!と言う一側面的な考え方には、否定的であるのは確かです。
いじめの定義
まず、いじめの定義は文部科学省によれば以下のようになっています。
「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍してい
る等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な
影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該
行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こ
った場所は学校の内外を問わない。
「いじめ」の中には、犯罪行為として取り扱われるべきと認められ、早期に警察
に相談することが重要なものや、児童生徒の生命、身体又は財産に重大な被害が生
じるような、直ちに警察に通報することが必要なものが含まれる。これらについて
は、教育的な配慮や被害者の意向への配慮のうえで、早期に警察に相談・通報の上、
警察と連携した対応を取ることが必要である。引用:文部科学省 いじめの定義
まとめると『心理的または物理的に、児童生徒が苦痛を感じている行為は「いじめ」である』というもの。また、場所は学校内に限らないとのことです。
ちなみに職場でのいじめ!なんて言葉もよく耳にしますよね。
でも一般的に『いじめ』は生徒や児童といった『子どもたちの間』で使われる言葉で、大人の場合はハラスメントのほうが適切です。パワハラとかね。
いじめが起こるたった1つの原因
いじめが発生する理由は、いじめる側の人格的な問題や環境の問題など様々な声が挙げられていますが、もっと根本的なところに原因があります。
それは個人や親または教師の力でどうにかできるものではなく、人間社会で生きていく上では本人が乗り越えなければならない壁なのです。
集団であること
大前提として「集団になる」といじめは起こります。ここで言う集団は、10人や20人といった単位ではなく、2人以上です。
もちろん、一緒に過ごす相手との相性にもよりますが、違う人間が2人集まれば、相手の気に入らない部分なども見えてきます。
それまで培った価値観など、相違する部分で相手を否定してしまうことが多々あるでしょう。
手段はどうであれ、相手の行動や価値観を否定する行為が、個人または少数派に向けられると、一般的に「いじめ」と呼ばれるのです。
また現代社会では、いじめの定義がいじめを受ける側に偏りすぎていて、より幅広い行為がいじめとして認識されています。
ですので、確実にいじめを避けるのであれば、一切他人と関わらないと言う道を選ぶしかありません。
まぁ無理なんですけどね。
夫婦や兄弟姉妹でさえ、時として喧嘩したり上下関係が生まれることもありますよね?ムカつく発言や行動をされるときもあるでしょう。それらを総じて「いじめ」と言っているのが、筋違いなのです。
好きな相手とだけ関わればいじめは解消する?
世の中には『学校という閉鎖的空間に閉じ込め、相性や距離感を考えずに他人と関わらせているからいじめが起こる。だからそうした仕組み自体を変えるべきだ』という人もいます。
参考:日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由
たしかに、好きな相手とだけ関われる環境にすれば、集団上の『いじめ』は減るでしょう。
いじめる側の人格に問題があるケースも少なくありませんし。
しかし、そうすると子供たちは『嫌な相手や苦手な相手との付き合い方』を学ぶ機会を失うことになります。
嫌な相手とも目的のために付き合わなければならないのが、社会性を持った生き物の宿命です。
本来、苦手な相手や嫌いな相手ともうまく付き合うのが、コミュニケーションでしょう。
Dは学校って座学や学問より、そういう人付き合いを学ぶの場所だと考えています。
コミュニケーションの摩擦部分ばかりに目を向けるから、対人関係の経験不足からコミュ障と言われる人が増えてしまうのです。
ある程度の『いじめ』は、本人に解決させる糸口を考えさせるべきですし、安易に大人や国が首をつっこむべきではないと個人的には思います。
過度な暴力など直接的に本人の命を奪ってしまう『行き過ぎたいじめ』と、無視や罵詈雑言程度の『本人が乗り越えるべき範囲のいじめ』は、しっかり区別しなきゃダメ。でないと、自分で対人関係を構築できない大人になってしまう。
子どもがゲームのボスを倒せないからと、毎回親が代わってやっていたら、子どもはいつまでたっても攻略できるようになりません。
いじめは社会性をもった生物の基礎である
そもそもいじめって人間に限った話ではありませんよね。
ほかと色が違うカラスやハトは、仲間からいじめられたり攻撃されやすくなります。
どんな動物も『自分や大多数と違う同族は異端者』だと感じるのです。
あとは単純に上下関係で弱い個体もいじめの対象になりますね。
みんな人間だから違うはずだと、ゴチャゴチャいじめの原因を論議しますが、結局のところは動物的本能なんですよ。
嫌なものは嫌だし、怖いものは怖いと感じる。
弱い側は強い側に逆らえないし、攻撃されやすくなる。
それを
なぜ嫌だと感じるか?
怖いと感じるか?
どうすれば怖くなくなるか?
嫌ではなくなるか?
と、論議しているだけ。
根本的に『いじめ』は社会性動物の本能であり、コミュニケーションの一種なんです。
たしかに理性である程度コントロールすることはできます。
しかし、不快なものはどう考えても不快です。
また社会性の中には必ず上下関係が発生するため、どんなに法律を固めても問題は解決しないでしょう。仮に解決できるときは『人間の社会性が崩壊したとき』です。
まあ、世の中の『個人の自由』なんてものを広げていけば、いずれはそうなるでしょうけど。
いじめの対象は交代制
基本的にいじめはローテーション制で、一定期間毎に対象が入れ替わることが多いです。
学校で言えばクラス替えや学年が変わる進級などでリセットされます。
継続していじめを受けるケースもありますが、その場合はいじめを受けている側に何らかの問題がある可能性も否定できません。
家の子に限って問題は無い!
自分は何も悪いことをしていない!
と言いたくなる気持ちもわかります。
が、客観的に見れば、いじめられている側に要因があるケースも多いんです。
例えば、クラス内で集団に合わせていなかったり、自己主張が強すぎたり、とにかく周囲と違うことをする人間は、集団から攻撃されやすくなります。
個人の自由や個性が尊重される世の中ではありますが、社会性を持つ動物としての本能は、異端な存在を排除しようとするのが一般的です。
もちろん、いじめる側がやりすぎていることもあるので、一概に言い切れるものではありませんけどね。
いじめの種類
一般的にいじめと言われる行為には、大きく分けて約3種類あります。
昔はいじめと言うよりも、ガチンコの喧嘩が多かった印象が強く、下記のジャンルで分けるなら身体的なものが多かったと言えるでしょう。
ですが、現代はインターネットなどの普及により、精神的ないじめの方が顕著である気がします。
身体的いじめ
身体的ないじめは、立場や身体能力的に上回る人が下回る人に対して、暴力などをふるって傷を負わせる行為の総称です。
殴る・蹴るなどが主な暴力行為であり、反撃できない人が一方的に傷つけられる様子を指します。
双方の立場や能力が拮抗しており、互いに暴力をふるい合っている場合は、いじめではなく喧嘩の分類になるのが一般的です。
精神的いじめ
暴言や間接的な嫌がらせを通して行い、精神的に相手に負担を与える行為は『精神的いじめ』に分類されます。
罵詈雑言はもちろん、その場の雰囲気を利用して無視するなどの行為も同様です。
具体的には以下のような行為が、精神的ないじめとなります。
・仲間外れ。無視などをして、いないかのように扱う
・暴言で外見や容姿を貶す
・ネット上に悪口や陰口を書き込む
身体的いじめに比べると、具体的な定義がなく、受ける側が『嫌だと思う行為』をすると、全て精神的いじめだと言われるケースも少なくありません。
物理的いじめ
個人または集団で、特定の相手の持ち物等を破壊したり隠したりする行為を、物理的いじめと呼びます。
精神的いじめの手段として行われることも多く、基本的に『精神的いじめ』と『物理的いじめ』は、並行していると考えて良いでしょう。
この3つが、一般的ないじめに分類される行為の種類です。
定義としてのいじめでは、子供同士の間でのみ成立するものであり、会社など大人同士での攻撃は、嫌がらせやハラスメントと呼ばれます。
ただ最近は、混同される傾向が強く会社での嫌がらせやハラスメントも総じて「いじめ」と認識されていることが多いです。
いじめは絶対的悪なのか?
いじめを受けたことによって、自ら命を立つ子供などが多いことから、いじめが絶対悪だと言う人は非常に多いです。
ですが、これも客観的視点で見れば、命を立つことを選択したのは子供自身であり、相手に直接●害されたわけではありません。
同じ環境であっても、うまくやり過ごす子供はたくさんいるでしょう。
いじめそのものは、どんな環境であれ発生するものなので、発生する都度相手に責任を押し付けていては、社会性を構築することができません。
「自ら命を断つよう仕向けたのは、いじめた側だ!」
と言う人もいるでしょうが、そういう選択をしないようにサポートするのが親の役割です。
本人が話さなかったから、学校が対処しなかったからなど、他責にする言葉はいくらでも出てくるでしょう。
しかし、子供からその真実を話してもらえない関係性を構築していた親にも、責任はあるのです。
日本では「亡くなった本人には一切責任がなく、事実関係で生きているいじめた側が全部悪い」と言われます。
ですが「●ぬことが相手の嫌がらせになる」とわかっていて、そーゆー道を選ぶ人もいるんです。
それはその道を選んだ本人の責任であり、他人に押し付けるのは筋違いだとDは思います。
いじめる理由・いじめられる理由
さて、ここからは「いじめ」が発生する状況で、「いじめる側がいじめる理由」と「いじめられる側がいじめられる理由」について、より詳しく追求してみましょう。
いじめる側の特徴
人間関係において、いじめる側には次のような特徴があります。とは言え、これは個人の性格ではなく、人間が本来持っている動物的本能とも言えるものです。
優位性や顕示欲を満たしたい
人間は社会性を持つ生き物として、上下関係や優劣関係をつけたがります。
誰でも自分は正しい、自分のほうが優れていると思いたい気持ちはあるでしょう?
競争本能の一部で、誰もが持つごく当たり前の性質なんです。
異端者を排除したい
基本的に「いじめ」と言う行為は、集団になじめない個体に対して行われます。
別な側面から見ると、自分や大多数と違う異端者を排除したいと思う気持ちから発展するものです。
具体的に言えば
・極端に目立ちすぎている子供
・他の子と違う行動している子供
・はっきりと意思表示をできない子供
などが代表的です。
子供の目線から見て、「自分たちと違う」と感じる相手には、攻撃行動をとりやすくなります。これは生物としての本能です。
そもそもいじめている自覚がない
今の世の中でいじめと言われる行為は、一昔前まで子供同士のじゃれあいと認識されていた物が多いです。
昔は戦隊物ごっこやチャンバラごっこなど、戦いをテーマにした遊びもたくさんありましたよね。
それが現在では暴力行為やいじめ行為として過剰に反応され、 いじめているという認識自体ないケースも少なくありません。
そもそも「いじめられている側が、嫌だと感じていればそれはイジメだ!」という定義自体、不明確で偏りが強すぎるんですよね。
その「言わなくても分かってくれて当たり前だよね!」みたいな認識が、 人間のコミュニケーション不足を招いていると思います。
いじめられないため
いじめが発生している状況では、主に3つの立場が存在しています。
1)いじめる側
2)いじめられる側
3)見ている側(傍観者)
3つ目の傍観者には
・いじめられないために見ている人
・面白がって見ている人
・興味がない人
など、いくつかのパターンがあります。
結構認識によって違うんですけど、この傍観者をいじめている側の人間だという意見も少なくありません。
でも、下手に口を出せば、自分がいじめられる側に回ってしまうため、自己防衛というのが根本的な心理でしょう。
考えてみてください。
見ているだけの人間が悪だ!という人もいますが、街中で不良やガラの悪い人たちに殴られている人を見て、助けに入れますか?
自分の子供や関係者ならできるかもしれません。
ですが、さほど仲良くもない相手に対しては、見て見ぬふりをする人がほとんどではないでしょうか。
自分に責任が伴わない場面では好き勝手言えますが、口を出さない人の気持ちも考えてあげてほしいものです。
いじめられる側の特徴
さて、いじめが発生する場面で、いじめられる側になる人の特徴についても触れていきましょう。
ニュースやマスコミの情報では、いじめる側が絶対的悪として表現されていますが、 現場ではいじめられている側にも目立った特徴があったりします。
協調性の欠如
いじめられる側に一番多いのが、 集団への協調性のなさです。
現代は個人の自由や個性が尊重される世の中ではありますが、人間は社会性を持った生き物。
大多数と違う考え方や行動、外見をしている個体は攻撃対象となりやすくなります。
これは法律がどうのではなく、生き物として当たり前のことです。
具体的には以下のような行動をする子供は、いじめの対象となりやすくなります。
- 周囲と仲良くしようとしない
- 自分の世界に閉じこもろうとする
- 自分だけしかいないような感覚で協調性がない
集団の中でいじめの対象になるということは、何かしらの理由で目をつけられる特徴を持っている可能性が高いのです。
集団の雰囲気を読まない
子供社会・大人社会を問わず、集団の空気を読んで雰囲気に合わせない人は、迫害またはいじめの対象となりやすいです。
人付き合いが悪い人は、いずれ仲間に入れてもらえなくなったり、相手にされなくなるのと一緒ですね。
自覚なく周囲に不快感を与えている
自分が知らず知らずのうちに、周囲に不快感を与えている場合、いじめや無視の対象になる可能性があります。
自分の子供に限ってそんなことはないと言いたい気持ちも分かりますが、客観的に見れば他人の神経を逆なでしている子供や人はいるものです。
反撃できない
気が弱く何をされても反撃できない子は、周囲からいじめの対象となりやすくなります。
これはいじめる側が強さの顕示欲を満たすためにやっている部分もあり、反撃をするとあっさりなくなったりするケースも多いです。
手を出すと反撃が来ると知れば、本能的に攻撃を止めてくれます。
基本的に子供は動物と同じなので、単純な行動で簡単に立場が入れ替わったりする事例も少なくありません。
いじめられる原因があってもいじめた側が悪い?
TwitterやSNSで『いじめ』の問題を調べてみると、さまざまな意見が飛び交っています。
総じて多いのは
仮にいじめられた側にいじめられる原因があったとしても、いじめた時点でいじめた側が100%悪い!!
いじめる選択をしたのはいじめた側で、いじめられた側に選択権はない。選択権を持っているいじめた側が悪いに決まっている!
といった意見。
まあ、普通に見ればごもっともなお話。
が、ちょっと視点を変えてみてほしい。
仮にいじめられた側にいじめられる原因があったとしても、いじめた時点でいじめた側が100%悪いわ!!
では犯罪者が裁きを与えられるとき、悪いのは誰なのかな?
そんなの犯罪を犯した犯人に決まってるじゃない!
そう。犯罪という『原因』を作った犯人が悪く、裁きを受けるのは当然だ。しかし、君の主張では裁きを受ける犯人に原因があっても、裁く法が悪いことになってしまう。
いじめと法律では違うと感じるかもしれないが、人間の言う善悪なんてのは、多数決や上下関係でしかない。法が強者、犯罪者が弱者という力関係になったに過ぎないんだよ。
だからこそ、いじめられる原因があったのであれば、必ずしもいじめた側のみが悪いとは言えないのです。もちろん個人同士の関係である以上、いじめた側のほうが問題の比率は大きいですけど。
いじめる選択をしたのはいじめた側で、いじめられた側に選択権はない。選択権を持っているいじめた側が悪いに決まっているだろう!
まずはいじめられた側に、いじめられる要因や原因がなかったのかだね。仮にあったなら、その行動を選択したのはいじめられた側だ。
そうでなければ、やりようによって『いじめられた側を演じることで相手を陥れる』なんてこともできてしまうよ?
マスコミもいじめられた側を庇護する意見しか報道しないし、子を持つ親後さんたちの大半もそれに便乗する意見しか持たない。
それはいじめる側といじめられる側の立場が入れ替わっているだけであることに、なぜ気付かないのでしょう。いじめの関係性は本当にケースバイケース。
腕力の強弱はいじめにあまり関係しない
個人の体の大きさや腕力の強弱がいじめに直接影響するのは、中学校以上などある程度年齢を重ねてからです。
小学生未満の場合、親や学校の管理のもとであれば、暴力的な喧嘩は発生しにくく、体の大きさもさほど問題になりません。
※なお、ここでいう暴力的ないじめは、ちょっと叩かれるレベルのものは含んでいないのでご注意ください!
つまり、いじめる側やいじめられる側に分類される主な理由は、 体の大きさや腕力の強弱ではなく、協調性など人間関係における部分が大きくなります。
大抵の場合、一人対複数人などの組み合わせになることが多いですしね。
いじめは生物の自然現象ってこと
いじめそのものは特別なものではなく、生物的な自然現象みたいなものです。
ほとんどの人が時期によって、いじめる側といじめられる側のどちらも経験します。
両方を経験することで、相手が嫌がる行為や自分がされて嫌な行為を学ぶきっかけとなり、結果的に相手のことを考えられる、コミュニケーションを学ぶのです。
一概に「いじめは絶対にいけないことだ!」と声を大きくしている人も多いですが、明確に「なぜいじめが良くないことなのか」を、具体的に説明できる人はほとんどいないでしょう。
もちろん、いじめを推奨するわけではありませんが、子供が人の中でのコミュニケーションを学ぶ上では、いじめも必要な過程だというのが D の見解です。
いじめ自殺が増える原因
おそらく、いじめは悪だという人の多くは、いじめ=自殺みたいな最悪の場面をイメージしているのだと思います。
実際、いじめを理由に命を絶つ子供も年々増えてきています。
これは「いじめそのもの」が問題なのではなく、子供にその手段を与えている環境が問題なんです。
現代のいじめは昔のように暴力的なものよりも、スマートフォンなどを使った陰湿かつ計画的なものが多い傾向にあります。
小学生など、本来は親が生活の大半を管理しなければならない年齢の子供に、余計なツールを与えすぎなのです。
また親が子供の言いなりになることで、自分の思い通りにならないことが起こると耐えられないメンタルを作り出しているのも、重要なポイントだとDは認識しています。
家庭で甘い環境を与えれば与えるほど、子供は集団や社会で生きていく力を身につけるきっかけを、失っていくことにつながるのです。
いじめを止められない理由
親が子供の自殺を止められない理由は様々であり、 一概に言い切れるものではないと思います。
ただ今と昔では親子での関係性の構築手法も大きく変わり、心の内を家族に晒せないという人も多いです。
同時に学校では、教員の権限がどんどん失われていき、少しでも強めに叱ったり体罰を与えれば、完全な悪役にされてしまう世の中。
全体的に見れば、本当の意味で子供を叱ったり導いたりできる大人は、現代にはほとんどいないのかもしれません。
・子供がかわいそうだから
・辛そうだから
という理由から甘やかしたり、そうした気持ちを経験する機会を奪ってしまうのは、過保護な親の自己満足であるケースが多いです。
いじめもその一環であり、本来なら時に殴り合いの喧嘩などをするぐらいが、親子や子供同士の正常な人間関係だと思います。
今の世の中は、 体罰やいじめに対して潔癖すぎるんです。
いじめをする子供は精神年齢が低い、なんて意見を出す人もいますが、 子供に大人の対応や精神を求めてどうするんですか?と正直思います。
子供は子供らしくあるのが一番でしょう?
それが行き過ぎないように、程よいタイミングで管轄するのが大人の本来の役割です。
いじめを止めるには社会性を放棄するしかない
ここまで色々な角度から語ってきましたが、大人や子供を問わずいじめを止める方法はたった一つしかありません。
それは他人と関わらないことです。
人間が二人以上になれば、大なり小なりいじめや衝突は発生します。
場合によってはただのケンカで片付くかもしれませんが、そこに力関係が発生すればいじめと呼ばれるのです。
夫婦や恋人同士でさえ、時には喧嘩や上下関係が発生するのに、 赤の他人同士が集まって衝突やいじめが一切発生しない環境を作るのは、ほぼほぼ不可能でしょう。
そもそも、そうした関係性の中で、うまく折り合いをつけていくのが大人です。
正直なところ、ちょっとしたいざこざで発生した人間関係のこじれまで、 いじめだとかどうのこうの騒ぐ方がどうかしているとDは思います。
そんな状況下で、 いじめを完全に回避するには、人同士が一緒の空間にいる状況を避けるしかありません。
実際に今の若い人でも、 他人とうまく関われず引きこもりだとかブロガーだとかで、一人だけの世界に入り浸っている人も多いでしょう。
国全体もそうした働き方を推奨するようになってきており、 今後はより在宅ワークや個人ワークが顕著になっていくと思います。
その世界には、いじめが発生するような人間関係はなく、人同士がビジネス以外の交流をする機会もどんどん減っていくでしょう。
せいぜい、寂しさを補うために傷の舐め合いをするオフ会などが増えるぐらいです。
人間関係の難しい部分からは逃げて、美味しいところだけ手に入れたいという何ともわがままな世の中になっていくでしょう。
あくまで個人的な見解ですけどね!!
まとめ
いじめが悪い、いじめをする奴は悪だ!と糾弾する 行為自体が、いじめをしている人の状況とほぼ同じであることに気づいてほしいです(;´д`)
多数で一人または少人数を攻撃している、その状況が「いじめ」なんですよ・・・・?
どんな理由や事情がありいじめは許さない!
というのであれば、いじめをした人を大多数が責めることも許されないのですよ。
なんやかんや言っても、人間はそんな崇高な生き物ではありません。
ちょっと賢いだけの動物ですからね。
とまぁ、今回はこんなところで!
随分久しぶりになっちゃいましたが、また次回の更新も頑張りますッ!