コミュ障なんで…は言い訳?甘え?9割はただの経験不足だろうが!!

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コミュニケーション

私、コミュ障なんで…」という人に対して、内心イラっとした経験がありませんか?

多分、このページに来ている人であれば身に覚えがあるはず。

 

ども。管理人のDです。

結論から言って、誰かと話すときなどに「コミュ障なんで~」と、誰も聞いてないのに自己申告する人は、中学生などがテストのときに「あんまり勉強してないからな~(テストの点数が低くても仕方ない)」と、上手くできなかったときの言い訳をしているのと同じ。

社畜女性
社畜女性

性格が~

育った環境が~

と言い逃れをする意見もちらほら見ますが、土台が違うのは皆同じ。

放置子・アダルトチルドレン・虐待、訳アリな人もいっぱいいます。

その中でも頑張り続ける人、過去や親に甘え続ける人、分かれてくる。

 

コミュ障が性格のせいだというのであれば、それは内向的だからとかではなく、単に「自分に甘い性格」というほうがしっくりくるかと思います。

 

結局はコミュニケーションの経験不足から、意思疎通の方法を知らないだけ。

ろくな経験もなく、失敗も怖がって逃げてきた結果が、現在に出ているだけです。

 

だからこそ、大人になっても「コミュ障なんで」と言い訳を続けている。

それが免罪符になるどころか、他人からの反感を買うだけの言葉であることも理解せずに。

 

この記事では「私、コミュ障なんです」という言い訳や甘えた言葉に、疑問や苛立ちを覚えている人に向けて、言い訳をする人の心理や意味合いなどをまとめてご紹介します。

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まずコミュ障とは何か

コミュニケーション障害の略語として「コミュ障」と呼ばれています。

ただ一般的に定義のある言語障害などとは別で、明確な病ではありません。

 

脳の異常などでコミュニケーションが困難な病気といえば

◎統合失調症
◎アスペルガー症候群
◎自閉症

などがあります。

 

D
D

ここで取り上げている「コミュ障」とは、まったくの無関係です。

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コミュ障なんで…は大体が言い訳で甘えです

冒頭でも触れたとおり、コミュ障なんで…という人は、上手くできなくても許してねという防衛線を張っているだけです。

ジョン君
ジョン君

いや、自分はコミュ障だって自覚してるから、むしろすごく頑張って周囲に気を遣ってる!!上手くやろうとしてるんだ!

メアリーさん
メアリーさん

本気で悩んで、コミュ障を克服しようとしてるのよ!

とかいう反論も聞こえてきそうですが、いずれにせよ「自分の都合」であって、その人と関わる周囲にとっては関係ありません。

 

自身がコミュ障であることを他人に配慮しろ!と言っている時点で自己評価がどうであれ、他人に甘えていることに変わりはないでしょう。

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そもそもコミュニケーションは他人ありきであって、どんな言い訳をしても、社会生活をする上で誰もが最低限のラインはクリアしなきゃダメなんです。

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コミュ障を言い訳にする人は大半が単なる経験不足

コミュ障を言い訳にする人は、大半が幼い頃から他人との関係構築を避けてきた人。

いじめ・性格・環境など、もろもろの要因はあるでしょうが、ようはただの経験不足。

 

最近の若者であれば生まれたころにはスマホやネット環境があり、人と接する時間よりもネットと向かい合っている時間のほうが長いという人も多いと思います。

 

そうすると「他人」という存在の認識力が衰え、相手を配慮した行動・思考ができなくなっていきます。現代社会の風潮として「自由の尊重」がはき違えて発信されてますしね。

 

具体的には、下記のような点でコミュニケーションが苦手になっていきます。

◎相手の目線で物事を考えられない
◎対面で話すこと自体が怖い・抵抗がある
◎自分の意思の伝え方が分からない
◎集団内の雰囲気や空気が読めない
◎相手の気持ちを汲み取れない
◎協調性を持った行動が取れない
◎相手を立てることができない

などなど。

 

これらの能力は本来、大学生くらいまでの経験値である程度は身につけることができます。しかし、文明や性格から十分な経験を積まずに歳だけ重ねてきた人が、いざ協調性やコミュ力が必要になったときに「コミュ障だから」と言い訳をすることになるのです。

 

どれだけ文明が発達しようと、人間は社会性動物。組織や集団で周囲と協力しなければ、いずれはつまはじきにされていきます。

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それが今の社会は「他人を気にせず自由に生きましょう!」と馬鹿な啓蒙してるから、変な歪みが生じている。

D
D

そうした点で問題を抱えた多くの人が「生きづらい」と感じるようになるのです。

他人を意識して協力しながら生きるのが当たり前と思えていれば、そこで極端な悩みやストレスを感じることもありません。

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オタクはコミュニケーションを必要としない?

アニメや漫画などに熱中する、いわゆる「アニメオタク(ヲタク)」と呼ばれる人たちは、コミュ障の代名詞かのごとく例に挙げられます。そのせいか、オタク側も「自分たちはコミュニケーションを必要としない人種だ」とか言い出しているところもちらほら。

 

結論からいって、他人との交流やコミュニケーションを必要としてないわけではない。ただ傷つくリスクのない二次元・創作物を対象にしているだけです。

 

二次元への愛情は自分からの一方通行でも、傷つけられることがなく、自分の理想通りに発言・行動してくれますから。そうではない現実が怖いというだけ。

 

結局、アニメや漫画自体が大きな枠組みで言えばコミュニケーションツールなんです。

コミュニケーションとコミニュケーションはどっちが正しいんじゃい!
『コミュニケーション』と『コミニュケーション』って どちらが正しいのか、良く分かりませんよね。 というわけで、この記事では『コミュニケーションとコミニュケーションのどちらが正しいのか』について、簡単にお伝えしていこうかなと思います。

作家や制作会社などがビジネスをするために、視聴者に対して行動を促してもらうための情報伝達。それに応えてオタクはお金を払い、グッズを購入したり映画・ライブなどに足を運ぶ。対面でないだけで、他人の情報発信・意思発信に応えてるんですよ。

 

なのでコミュ障といわれるオタクも、単なる対面・対人コミュニケーションの経験が不足している一般的な人間だということです。そこにアニメや漫画といったフィルターがかかるから、自分たちはコミュニケーションを必要としない人種だ!なんて勘違いも生まれてしまうのかなと思います。

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失敗・挫折を繰り返して覚えていくもの

コミュニケーションは場数と工夫の繰り返しです。

失敗・挫折があり、そこで辛い思いをしながらでも学び続けていくしかありません。

 

一見コミュ力お化けに見える人も、失敗を繰り返してそれなりの場数を踏んでいるはず。

問題は失敗や挫折を味わったときに、恐れて逃げるか、経験を活かすかだけです。

コミュ障を言い訳にする甘い人は、総じて前者が多くなります。

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コミュ障を言い訳にせず行動すべき

自称コミュ障を脱出するには、行動を起こすしかありません。

そもそも「自分はコミュ障である」と値踏みしてるのは、周囲に甘えている自分だけ。

 

本気で克服したいのであれば、言い訳や甘えは一切捨てて、自信が持てるようになるまで行動するしかないのです。言い訳をしているうちは、本気で克服する気がないと思います。

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コミュ力向上に向けたトレーニングポイント

自称コミュ障を脱するには、場数と経験を積みながら、自分なりに試行錯誤するしかありません。本来は赤子から多くの人と関わり経験して学ぶことを、経験してこなかったからこその現在ですから。

 

生まれてから言葉を発さずに引きこもっていて、日本にいながら日本語が理解できないのと同じようなもの。普通なら成長の過程で、半自動的に最低限身につくものなのに。

 

それを取り戻したいのであれば、傷つくことを恐れずにコミュニケーションの場数を踏み続ける以外の方法はありません。

会話の場を増やす

基本的に会話をするシチュエーションはなんでもいいです。

ただできれば、知らない人相手に会話する場を増やしたほうが、コミュニケーショントレーニングには効果的です。

 

最初は家族や友人を相手に、相手の表情・しぐさ・声のトーン・外見・言葉などから、次の言動を考える癖をつけるところからスタートするといいでしょう。

 

数をこなすと無意識にでもできるようになります。

相手に興味を持つ

コミュニケーションにおいてもっとも大切なのが、相手に対する興味です。

 

よくコミュ障を自称する人が

「知らない人だと何を話せばいいのか分からなくなる」

「友人や家族なら普通に話せるのに」

と言っていますが、それは相手のことを知っているから。

 

相手の性格・趣味・近況・自分と共通するものなど、会話にすべきネタが豊富にそろっているから、会話にも困らないんです。

 

見ず知らずの人相手の場合、相手に関する情報がない。

だから話せなくなってしまうんです。

 

作り慣れた料理ならレシピを見なくても材料は分かるしすぐに作れますよね。

でも初めて作る料理でレシピがなければ、材料も分からないし、作り方も分からない。

それが初対面だと会話ができなくなる人の状況です。

 

だからまずは材料を集めるところからスタートする必要があります。

そのために大切なのは相手に興味を持ち、質問し、しっかり耳を傾けること。少しずつ相手の情報が分かってくれば、会話のネタも自ずと掴めるようになってくるでしょう。

 

話し上手より聴き上手が重要と言われるのは、こういった観点からです。

上手に喋ろうとしない

自称コミュ障な人ほど、上手に喋ろうとするんです。

コミュニケーション力=喋る力・話す力・発信する力

と思っているからでしょう。

 

コミュニケーションに大切なのは、相手と適切に意思を疎通すること。

相手が伝えようとしていることを理解し、必要な言葉や行動で応答することです。

 

伝える能力も重要ではありますが、コミュニケーションを円滑に進めるという意味では聴く能力のほうが優先順位は上といえるでしょう。

 

とくに対面の会話に慣れていない自称コミュ障の人は、変に気張って饒舌に話そうとせず、相手の言葉をしっかり確実に聞き取り、理解することに集中した方がいいと思います。

上手くいかないのが当たり前

最初のうちは嫌われたり、馬鹿にされたり、注意されたりなど、上手くいかないことのほうが多くなるでしょう。でも、それが当たり前と割り切って場数を踏むことが大切です。

コミュ力は言葉だけではないと知るべし

コミュニケーションは言葉を話す能力じゃありません。

饒舌で誰とでも仲良くなれる人がコミュ強と思われがちですが、無口でも周囲から信頼されて好かれる人間もいます。

 

メールや電話が普及した現代では、対面で得られる情報から相手との共通点を見つけるという能力が衰え、コミュニケーションが苦手という人も増えました。

 

しかしコミュニケーションは意思疎通の意であり、言葉に限らず行動・表情・しぐさ・服装・気配りなど、幅広い手法があるものなんです。

 

慣れないうちは大変かもしれませんが、それは便利な文明に頼りきって生きてきたことによる、圧倒的な経験不足でしかありません。

 

公共交通機関での生活に慣れた人が、車の免許を持っていても運転が怖いように。

便利がゆえに、対面でのコミュニケーションが生活の一部ではなくなってしまった。

D
D

それを何とかしたいのであれば、自らの意思で人と接する場に飛び込み、経験を積むしかないと個人的には思います。

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まとめ

コミュ障なんで…という言葉は

学生がテスト前に「勉強してないから…」と言っているのとほぼ同じです。

 

そもそもコミュ障か否かは他人の評価から出てくる言葉であって、自称するものでもありません。自称することはすなわち「言い訳・甘え」だと言われても、仕方のないことなんじゃないかと思います。