本当に”何も失うものがない強さ”と”守るべきものがある強さ”
どちらの強さが上なのか、興味ありますよね。
世間的には失うものがない強さを持つ人は「無敵の人」とも呼ばれているようです。
一方で守るものがある人は”失う弱さ”があるから、失うものがない人のほうが強い!なんて意見が多い模様。
はてさて、本当にそうでしょうか?
失うものがない人はたしかに強いと思いますが、見方によっては「希望がない生き方」とも言えます。守るものがあると、失う恐怖も付いてくるから、意図的に何も持たないという人もいる。
あらゆる角度から考えて、絶対的に何も失うものがない人が最強!とは言えないんじゃないかと個人的には思うわけです。
ということで、この記事では「何も失うものがない強さ」と「守るべきものがある強さ」の違いや強さの比較について検証してみます。
”守るものがある強さ”と”何も失わない強さ”という、いかにも厨二病くさいネタに興味をお持ちの方は、ぜひ最後までお付き合いください!
失わない強さと守る強さの違い
はじめに「失わない強さ」と「守るものがある強さ」の違いについて、考えていきます。
一般的にこの2つの強さについては、次のように考えている人が多いでしょう。
失うものがない強さ
人が社会生活において失いたくないと考えるもの、それがないは「失うものがない人」です。具体的には「社会的な立場や地位」「金銭」「仕事」「家族」「住処」などなど。
極論、刑務所暮らしになってもいいと思っているような人です。
お金もなく、家族もなく、家もなく、仕事も社会的地位もない。
そういう人は何をしても失うものがないから「無敵の人」なんて呼ばれるわけです。
仮に失うものがない犯罪者が犯罪を企てたとしても、実行するまでは逮捕できない。実行して逮捕されたとしても、本人は刑務所生活で構わないと思っている。しかも極刑でない限りは、いつか出てきて同じことを繰り返す。※ネット調べ
なるほど、たしかに「無敵の人」ですね。
これが「失うものがない強さを持つ人」の代表格です。
ようは社会性を捨てて他人への迷惑も顧みず、自己中心に生きる人。
大切なものを守る強さ
一方、家族や財産・社会的地位など「守るべきものがある人」は、それを失わないために頑張る強さを発揮します。
自分の生活や家族を守るために、仕事の人間関係は我慢するし、相手に合わせた付き合いもするし、会社に貢献もする。すべては守るべきものがあるからこそ。
よく勘違いされているのですが、この「守るべきもの」は別に他人や家族である必要はありません。自分のお金・プライド・生活、なんでもいいんです。
とにかく自分にとって大切なものを守りたい!という想いから、頑張れる人を指します。
一昔前だと「守るべきもの」=「恋人や家族・子ども」みたいなニュアンスでしたが、イマドキそうも言えないでしょう。
こちらは社会ルールに則った社会的な生き方をする人ですね。
どちらのほうが強い?
この2つの”強さ”を比較したとき、どちらがより強いのか。まず何をもって強さというのかも、曖昧なところですが…。
ひとまずここでは「本人を押し動かす原動力的な強さ」として、話を進めていきます。
失うものがない強さの特徴
失うものがない強さは、言い換えれば「無法者」
極端な話、法律を破って逮捕されたとしても失うものがないわけですから。
自分の命さえ、なくなっても構わないくらい。
失うものがない強さとは、そういう自棄の要素を含んだ強さだと思います。
何をするのも怖くない。
いざとなれば、すべて放り出せばいい。
裁かれればいい。
逮捕されればいい。
何でもやるけど、責任は取らない・取れないし、我慢もしない。
周囲にとっては非常に迷惑な強さといっていいでしょう。
★ポイント
大前提として失うものがない人というのは、意図的にその状況になったのか、不本意ながら陥ったのかで大きく意味合いが違ってきます。
例えばリストラや離婚、破産・経済的困窮など、何かしらの外部要因によってすべてを失った人も、言い換えれば「失うものがない人」です。
一方、失う恐怖から意図的に恋人や家族を作らず、家も捨てホームレス生活を選択している人は、自らの意思で失うものがない状況を作っています。
前者は気の毒な人とも取れますが、後者はただ極度に保身的で自己中心的なだけ。
大切なものを守る強さの特徴
社会的な立場や地位・家族・恋人・プライドなど、失いたくない何かのために頑張れることを「大切なものを守る強さ」と呼びます。
一般的には子どもや家族であるケースが多いです。
大切なものを守る強さは、純粋な社会的忍耐力。自分のプライドにせよ、立場にせよ、家族にせよ、頑張らなければ失ってしまう何かを持っている人の忍耐力。
それを守るために自分の意思に反することでも我慢するし、時には理不尽なことにも耐えられる強さとなります。
失うものがない強さが「何でもできる攻めの強さ」であるとするなら、何かを守るための強さは「守りや防御に特化した強さ」ともいえるでしょう。
この2つを比較して
攻めのほうが強いに決まってる!
なんて意見を持つおこちゃまも多いですが、自分の行動の責任を負えない強さなんて、他人からすれば、迷惑以外の何物でもないです。
まあ”イマドキ”な人には聞こえがいいのかもしれませんけどね。
ただ守る強さも一歩間違えれば、保身で他人を犠牲にするゲスになりかねません。
どちらかに優劣があるのではなく、人によって人生の中で重視するポイントや環境が違うというだけなのです。
おまけ:無敵な人を無敵ではなくする方法
失うものがない人は「無敵」であるのはたしかです。しかし、逆に言えば「失うもの」を与えれば、無敵な人は無敵ではなくなります。
仕事・財産・パートナーなど、さまざまな要素は考えられますが、何にせよ「失いたくない!」と思うものを持たせれば、無敵ではなくなるんです。
無敵な人は大抵自暴自棄な人ですし。そうなってしまう背景も含めて、世の中の政治って難しいんだろうなぁと思う今日この頃。
まとめ
強さに優劣なんかありません。
以上!