どもっす。
Dです。
唐突ですが、ふと『お金があれば幸せ』とかで検索したら
◎幸せはお金で買える
◎愛があれば幸せ
とか、何か色々な持論が展開されていたんですよ。
個人的にこういう『答えが出ない議論』は大好き。
ネットに答えを求めるのが当たり前になっているご時世、こうした抽象的な話はなかなか目にしなくなりましたし。
というわけで、この記事では『お金があれば幸せは嘘か本当か!』ってことを調べてる人に向けて、D個人の意見も載せてお届けしたいと思います。
1.お金がなくても幸せ派VSお金で幸せも買える派
お金があれば好きなものが買えるし、旅行でも何でもできるようになります。
だから『お金があれば幸せ!』って結論を持つ人が大半なのも想像に難くない。
反面、『貧しくても好きな相手といられれば幸せ!』という人も多い。
それぞれが相手の意見にマウントを取って、ああだこうだと議論している様子もよく見かけます。
まず君たちは、一体何を基準に『幸せ』と『不幸せ』を寄り分けているんだい?
1-2.そもそも『幸せ』の定義を決めて語ってくれ
お金があれば!愛があれば!というのはいいんだけど
そもそも論で『幸せ』の定義を決めた上で語ってくれまいか。
幸せの定義
幸福論やら何やら色々と語られてはいますけど
要は『人はどんな時にもっとも幸福感を感じるか』みたいな話です。
幸せに対する定義は学者によってもさまざまではありますが
基本的に『心が満たされて、他には何もいらない状態』であるとDは思っています。
恐らく
お金があれば幸せ勢は『好きなものを手に入れられること』
愛があれば幸せ勢は『好きな相手と過ごすことで得られる安心感・充実感』
を幸せの指標にしているように感じます。
正直なところ、Dは幸せの答えについて、本人の資質でしかないと考えています。
2.幸せは大原則『本人の中』にしかない
Dは自分が幸せか否かにもさほど興味はありません。
が、恐らく幸せなんでしょう。
Dのプロフィールはこんな感じ
こんな状態で『幸せだ』と聞くと
大多数の人が『理解できない』と感じる状況だと思います。
でもね、幸せの定義を『心が満たされて、他には何もいらない状態』であるとするなら、ほぼほぼ満たしてるんですよ。
お金があれば幸せだという人は
お金を使って今持っていない何かを手に入れて満足しようとしている。
つまり、お金を支払ってモノやサービスを得ることで
『欲しいと思うものを減らし、心を満たそうとしている』わけです。
その観点から見て、金も異性も酒も体験もなーんにもいらない。
最低限の現状で満足!って人は、誰よりも幸せということになります。
2-1.お金がなくても幸せは『余分なお金がなくても』って意味だよ?
で、こういうことを言うと
『お金がないからって、ご飯も食べられない国の子どもたちを見ろ!お金があれば、あの子たちも幸せになれるじゃないか!』みたいな反論をいうんでしょう。
まず『お金がなくても幸せ』は『余剰に遊んだり、贅沢するお金がなくても幸せ』って意味であって、手持ち金0円でもいい!ってのとは話が違います。
日本という国においては、そういう人を保護するために生活保護があるわけだし。
そこでマウントを取って『ほらやっぱりお金があれば幸せなんだ!』というのは、かなりお子ちゃまな反論ですよ?
海外の貧困は国の政治の問題であって、お金があれば幸せか否かとは別問題です。
そもそもああいう国の人たちは、育てられもしないのに子ども作りすぎ。
3.お金があれば物欲や欲求は一時的に満たせる
とはいえ、お金がたくさんあればそれだけ選択肢が増えるのは事実です。
だからお金を使って得られるモノにより、一時的な欲求を満たすことはできます。
この『一時的に満たされた瞬間』は幸せだと感じるわけですね。
その瞬間は満たされてるから。
でもすぐに別のものや新しいもの、あるいはもっとたくさんのお金が欲しいって欲求が出てくる。そして、また欲求を満たすためにお金が必要になる。
大多数の人はこうした悪循環に陥ってるわけです。
結果、『お金があれば幸せ、なければ不幸せ論』に辿り着く。
ようは『欲が深い人』ほど、お金があれば幸せって答えに行きつきやすい。
逆に『欲が薄い人』は、愛が幸せって答えにたどり着きやすい。
これは各個人の性格・経験・価値観などによって決まっている部分も大きく、意図的に変更するのはほぼほぼ不可能です。
自分のアイデンティティを破壊する出来事でもあれば別ですけど。
4.お金は『物質的な幸せ』・愛は『精神的な幸せ』
お金と愛はどちらも『心の満足感』を与えるという意味では
あれば幸せになりうる要素ではあります。
ただどちらにせよ
『愛があれば幸せ』
『お金があれば幸せ』
なんて自己主張してるうちは、両者ともに満たされない何かがあるから主張してるワケで、根本的なところは幸せではない状態なんでしょう。
世の中には、客観的に見て愛とお金の両方を持っているのに、絶望して自害するなんて人もたくさんいますしね。
結局、自分の心が満たされなければ、お金だろうと、愛だろうと、幸せにはつながらんのですよ。
結論:自分が幸せであることに気付けたら幸せである
誰と比べるわけでもなく、自分が自分の判断基準のもと満たされており『幸せだ』と思えたなら、アナタは幸せなんですよ。
逆に自分の判断基準のもと
『もっと愛されれば幸せ』
『もっと認められれば幸せ』
と、いつまでも『何か』を求めて満足しなければ
何をどれだけ手に入れようと幸せにはなれません。
つまり『現状に満足し、何も求めるものがない状態』が
もっとも幸せに近しい状態だとDは結論付けます。
足るを知る者は富むというでしょ
補足
貧しい国でも幸福度が高いって話はよく聞きますが、あれは『他人と比べて自分が不幸だ』という比較が少ないからだとDは思っています。
貧困しかいない国なら、国民は贅沢という存在を知らず、それが当たり前となります。
その当たり前の中で、家族たちと笑い合える環境に心の満足感を得る。
日本だと勝ち組・負け組とかこだわる人多いですけど、全員が同じく貧困状態なら勝ち負けはありません。
幸せの基準を『他人と比較して判断する』人がほとんどですからね。
◎他人より恵まれた環境か
◎他人より有名か
◎他人よりかわいいか・美人か
◎他人と比べて個性的か
とかね。
今の世の中は何でもかんでもIT化で数値による答えの明確化を推奨するから
こういう他との比較が当たり前の思考に陥る人がめちゃくちゃ多い。
特に20~30代のIT社会で育っており、人生経験の浅い人たち。
他人と自分を比べることを辞めるのが、幸せの第一歩だと思います。
5.お金があれば幸せになれる派の意見に対する持論
ここから『お金があれば幸せ派』の主な意見と
それに対するD個人の意見を述べておこうかと思います。
Dはお金があれば幸せとは思いませんし、愛があれば幸せとも思いません。
あるがままをあるがままに、自分なりに楽しめれば満足です。
愛派とお金派、どちらに賛同する気もありませんのであしからず。
5-1.お金があれば好きなものが買えるし、好きなところに行ける
資本主義社会において、お金があれば人生の選択肢が増えるのは確実でしょう。
◎好きなサービスも受けられ
◎好きなところにも行ける
たしかにこれで一時的な幸せは手に入ります。
が、逆に問いましょう。
◎好きなものをすべて手に入れたあとは?
◎好きなサービスをすべて受け終わったあとは?
◎行きたいところにすべていったあとは?
また同じ欲を繰り返すという人も多いとは思いますが、いずれ飽きます。
そして何のために生きてるのか分からなくなるでしょう。
言い方はあれですが、かなり低次元な欲求に踊らされていると思います。
5-2.お金があれば仕事の人間関係やストレスから解放される
◎お金があれば嫌な仕事をしなくてもいい!
◎働かなくてもいい!
◎嫌な人間関係も我慢しなくていいってことだ!
という人も多い。
まあ、お金があればそうですね。
若い人だと
『スキルアップにもならない会社は3年いる価値がない』とか
『嫌な相手と無理に付き合う必要はない!今はもう時代遅れだ!』とか
いう人、かなーり多いです。
ITが発達して人間関係自体が不要になる!という意見もありますし、実際そうなっていくでしょう。
だって、コミュニケーション経験なさ過ぎて、そこで生じるストレスに耐えられなくてすぐに病んだり、病気扱いに逃げる人ばっかだもん。
ただDは仕事というより、組織で働くってことはお金だけでなく『人生経験』を積むためにも必要だと思ってます。苦手な相手と付き合うことも然り、時には我慢して相手に従うことも、全部ね。
スキルアップのためじゃなくて、自分の『人格』を育てるために。
そして『人格』を育てる目的は、将来自分が関わったりする人たちを育てたり、助けたり、導いたりできるようになるため。
稼げるようにするとかじゃなくてね。
自分が育ててる人に、人として真っ当な人に育ってほしいという人も多いですし。
それが親であったり、会社の上司であったりする。
多分、今の20~30代には理解できないか、理解できてもよっぽど少数派だと思います。人情や道徳より、自分・金・ちやほやがベースの世代だし
ストレスもない、他人の存在を認識できない価値観や世界ってのは、やっぱり不健全で歪だと個人的には思ってます。
5-3.お金がなくても幸せ派は愛を究極に美化しているだけだ
人は基本的に自分と相反する意見には、ああだこうだ理由をつけて否定しようとします。
が、人は自分1人の人生しか経験することはできず、他人の経験に基づいた他人の価値観なんて、理解はできても実感することはできません。
よって、愛が究極の幸せだ!と美化しているというお金派は『お金があれば幸せになれる!』という考え方に凝り固まっているだけ。
人との関係において感じる満足感というのは、人間関係の経験が圧倒的に不足している現代の若者には、理解しにくい部分だと思いますし。
5-4.恵まれているからお金がなくてもなんて言える!貧困な国を見ろ!
先にも書いた通り『お金がなくてもは、余剰なお金がなくても』という意味。
そして貧困な国でも『幸せだ』という人はいる。
だから貧困とお金があれば幸せを結びつけることはできない。
そしてお金があれば幸せ論を推すのは、それだけアナタ自身がお金に執着した価値観をもっているからに他ならない。
愛があれば幸せ論を推す人は、お金があれば幸せを受け入れない
金や愛より、まずは健康である。
金で健康も買えるって?それは医学でなんとかできる範囲に限った話だよ。
まとめ:表面上や一般論だけで幸せは語れんよ
人生における幸せを語るには、それだけの経験が必要になる。
どんなに若くして大きなお金を得て欲望を叶えても、薄っぺらい経験からは薄っぺらい人生観しか生まれない。
愛もまた然り。
というか愛なんて誰かに語るようなもんじゃない。
以上、お金か愛があれば幸せか?のお話でした!